2013年2月20日水曜日

ドーピング問題に関していくつか


まあ、このことに書かなくてはならないわけですよ。

2/21日付で発売された文藝春秋から出ている雑誌、「Number」に、珍しく国内のメディアがロードレースを取り上げる量としては破格の4ページという分量で記事が出ていた。しかし、そのタイトルは「堕ちた英雄 ランス・アームストロングの告白」というもので、ものすごく競技のネガティブイメージを広げるものである。筆者は及川彩子さんという、自転車以外の競技について多く書かれている方なので、現在のロードレースをどう分析するかについて注目していた。

記事としてはランス個人としての特異な性格にかなり重点が置かれていた(「ソシオパス」っていう人格障害のことを初めて知りました)けれども、UCIが腐っていたことに関してもさらっと触れている。結局USADAの徹頭徹尾まともな感覚がなければ、真実は明らかにならず、自浄作用が働いていなかったことがよくわかる。

そして、そういう自浄作用がうまく働いていないのは、結局のところこの競技のファンの総意なのではないかという感じることがある。そもそもいっときのロックレーシングとか、最近のミケとか、現在の赤いロシアのチームとか、やばい人たちが集まって経済的に成り立つというのは、やはりそこにファンが付くからだと思う。

西洋人は告白すれば赦される文化だから、ああいうのも成り立つんだ、みたいな意見もある。まあ、日本文化圏でピュアピュアに育ってきたからその感覚がよくわかっているとは言いがたいけど、少なくとも当チームの所属選手たちにランスやら他ドーパーのことの話になったときに、あの糞野郎が。。。的な話になるので、ほっとする。色々読んでいる限り、フィニーとかピノッティだってそうじゃないかな。根源的にcheatを嫌う気持ちにそこまで違いはないみたいですよ。

そして、スポーツ選手のドーピング問題を日本人は特に忌み嫌うので、あっちの世界とは関係ない、というのも、そうか?という気がする。

誰だったか、日本人の口から、単純にドーパーだったからろくでもないやつだと決めつけるのはよくない、そもそもほとんどやっているなかで、ドーピングをしても更にものすごい努力をすることがプロトンの中では求められるのだからと、というようなことも聞いた。なんとなくそうか、と思って納得しようとしたが、おいおいそもそもやってなかったせいで競技に残れなかった人間はどうするんだよ、と激しくあとで一人ツッコミを入れておいた。

ミラーとか割に好感をもっていたけれども、「ドーピングを告白して、どれだけそれを改善するための動きをした所で、最初から最後までクリーンに徹していった選手のほうが偉いに決まっている」という某色々とカッコいい選手の話を聞いて考えなおした。更正するのはプロトンに残る最低条件であって、別に誇るほどのことではない。いや、認めない連中よりははるかにいいんだけど、完全クリーンの選手のほうがよっぽどカッコいいぜというところを認めようという話。

ごく最近も、某イタリア人が、出場停止から復帰してチームが見つかったりすると、復帰おめでとう~とか、言っている人は多い。日本人が同じ事をやっても、復帰を望むのだろうか?それとも何らかの見識をもって、彼が無実だったと信じているとか?かなり無理があるぞ。

一度やれば、脳は通常超えられない壁を超えた感覚が焼きつくから、絶対にその後のパフォーマンスを引き上げるよね、という話も選手間でしたりした。世界記録を誰かが突破してきた瞬間に、次々にそれまでの世界記録が破られたりすることがあるよね。あれだって、かなりの部分はイメージがはっきりするからだと思う。ましてや自分の肉体で、薬物が入った状態で「その世界」を見てきたら、薬切れした後でもそこに近づくことは容易になるんじゃないかな。そういう意味では復帰した選手を同列に扱うのもどうかと思う。

当チームは割に新しいチームですが、いらん歴史がないところは気に入っています。

以上、ドーピング問題に関する雑感でした。ファンの目が厳しく、スポンサーに対してプレッシャーを与えることが出来れば、かなりの問題は解決出来ます。